FC2ブログ

記事一覧

夏の詩 中原中也とその生涯 夏と男達④


<文学と男達>

読書する男達⑥ リゾートでの読書・・・好きな小説の一節

読書する男達⑤ 読書男子はかっこいい。

読書する男達④ 素晴らしい詩の一節 素晴らしい言葉達

読書する男達③ 読書の楽しみ「人間失格」「仮面の告白」 

読書する男達② アルチュール ランボー 狂気の果て

読書する男達① 村上春樹、ノーベル文学賞落選 がっがり。 

夏の詩 中原中也とその生涯 夏と男達④

夏の粋 夏の素晴らしい詩 浴衣を纏う男達⑧



夏の日の歌

ノンケ (41)
 
青い空は動かない、
雲片一つあるでない。
  夏の真昼の静かには
  タールの光も清くなる。

夏の空には何かがある、
いじらしく思わせる何かがある、
  焦げて図太い向日葵が
  田舎の駅には咲いている。

ノンケ (1)

上手に子供を育てゆく、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  山の近くを走る時。

山の近くを走りながら、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  夏の真昼の暑い時。

ノンケ (56)



中原中也

9784284700764.jpg

ダダイズムを信奉し、
詩集に『山羊の歌』
『在りし日の歌』などがある。

「汚れつちまつた悲しみに」で
始まる詩が有名。

17_20160730051443b1f.jpg

満30歳で病没、
詩作は人生を通して行っているが、
実質的な詩人としての活動期間は短い。

しかし、残した作品は
どれも印象的なものが数多く、
本人の波乱に満ちた人生も相まって
今なお非常に人気の高い詩人である。


また、詩人としてだけではなく
翻訳家としても著名。

中原が傾倒し影響を受けていた
フランスの作家
アルチュール・ランボーの詩を訳した
『ランボオ詩集』は非常に完成度が高く、
当時の詩歌の大家であった
萩原朔太郎も称賛している。

237828.jpg

現在においても、
中也によるランボーの邦訳には定評があり、
中原中也に関する研究は
ランボオに関連のものが数多い。

また、残した歌には
音楽的、童話的な印象を
与えるものが数多い。

子どもの純真無垢さを描くと同時に
純真無垢であるが故の残酷さがある、
という一面を鋭くついた作品が多く、
当時の子どもの純真無垢さを
賛美するようなものと比べると
やや変わった切り口を持っている。

また中原中也は
宮沢賢治のことを無名時代から知っており
初めて賢治の作品を読んだときは、
これは広く人々に読まれるべきだと考え、
文芸仲間に紹介したり
買い与えたりしている。

03_201607300354046a6.jpg

なお、中也が初めて手にした
賢治の作品は詩集『春と修羅』で、
後年、賢治の童話も愛読していたが、
特に評価をしていたのは
詩作品の方であったようである。

そして、石川啄木と並ぶ
日本文芸界の2大ろくでなしである。
太宰を入れると3大。

2人とも早く死んで、
文人としては一流だったからよかったが、
人間としては最低である。

文人きっての酒癖の悪い男として有名。

酒を呑んでは暴れ、
それを坂口安吾と太宰治が
嫌ったくらいだから、
よっぽどのものである。

kenkyu14.jpg



都会の夏の夜

ノンケ (44)

月は空にメダルのように、
街角に建物はオルガンのように、
遊び疲れた男どち唱いながらに帰ってゆく。  
――イカムネ・カラアがまがっている――

その脣は胠(ひら)ききって
その心は何か悲しい。
頭が暗い土塊(つちくれ)になって、
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。

ノンケ (52)

商用のことや祖先のことや
忘れているというではないが、
都会の夏の夜の更――

死んだ火薬と深くして
眼に外燈の滲みいれば
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。

ノンケ (60)



逝く夏の歌

ノンケ (80)

並木の梢が深く息を吸って、
空は高く高く、それを見ていた。
日の照る砂地に落ちていた硝子を、
歩み来た旅人は周章(あわ)てて見付けた。

山の端は、澄んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。

ノンケ (50)

風はリボンを空に送り、
私は嘗て陥落した海のことを 
その浪のことを語ろうと思う。

騎兵聯隊(れんたい)や上肢の運動や、
下級官吏の赤靴のことや、
山沿いの道を乗手もなく行く
自転車のことを語ろうと思う。

ノンケ (47)



中原中也

06_20160730041813863.jpg

1907年(明治40年)4月29日、
山口で生まれました。

父謙助、母フクの
結婚7年目にして生まれた
待望の嗣子でした。

中原家は
毛利氏に仕えた士族の家柄で、
父は軍医。

名家の嫡男の誕生に周囲は喜びに沸き、
祝いの宴は3日も続いたそうです。

祖父は彼を「奇跡の子」と呼んだとか。

53f6b8b1.jpg

神童と呼ばれた幼少時代

幼稚園時代の中也は、
よく言うことを聞く優しい、
聞き分けの良い子どもだった。

勉強も何もかもよくできて
周り中から神童と褒めそやされる中也。

賞賛の的だったのは、
実際に賢かったこともあるでしょうが、
名家のお坊ちゃんであることも
影響したでしょう。

顔だちも良く、もてたし
金持ちだし、
わがまま放題は このころ培われる。

中原中也 写真

文学に耽って落第

小 6から、
雑誌や新聞に短歌を投稿して、
入選していた中也。

中 学に入ると更に読書にもはまり、
創作にも打ち込みます。

が、文学なんかやらせたくない両親は
せっせと妨害し、
本代も渡さないようにしたりしましたが、
あまり効果はありませんでした。

どんどん、どんどん成績が落ちて
ついに第三学年を
落第してしまいます。

05_20160730041811d11.jpg

弟の証言によると、
中原家は中也の不名誉に
騒然としたとのこと。

落第した長男を地元に置いとけないと
中也は、京都の立命館中学に
補欠合格して編入することになる。

しかし中也にとって、
これは運命だったでしょう。

激動の京都時代が始まります。

関東大震災の崩壊から生まれた
ダダイズムに触れ、
これにかぶれます。

京都時代の中也は
ダダイスト中也でもありました。

ダダイスム(仏: Dadaïsme)は、
1910年代半ばに起こった
芸術思想・芸術運動のこと。

第一次世界大戦に対する抵抗や
それによってもたらされた虚無を
根底に持っており、
既成の秩序や常識に対する、
否定、攻撃、破壊といった思想を
大きな特徴とする。

07_20160730041814e3d.jpg

美青年 16歳 ダダイスト 中也。

しかし、彼の生涯を変える
それ以上の運命の出会いが
京都で 待っていました。



夏の夜に覚めてみた夢

ノンケ (65)

眠ろうとして目をば閉じると
真ッ暗なグランドの上に
その日昼みた野球のナインの
ユニホームばかりほのかに白く――

ナインは各々守備位置にあり
狡そうなピッチャは相も変らず
お調子者のセカンドは
相も変らぬお調子ぶりの

ノンケ (66)

扨(さて)、待っているヒットは出なく
やれやれと思っていると
ナインも打者も悉(ことごと)く消え
人ッ子一人いはしないグランドは

忽(たちま)ち暑い真昼のグランド
グランド繞(めぐ)るポプラ竝木は
蒼々として葉をひるがえし
ひときわつづく蝉しぐれ
やれやれと思っているうち……眠た

ノンケ (77)



夏と私

ノンケ (2)
 
真ッ白い嘆かいのうちに、
海を見たり。鴎を見たり。

高きより、風のただ中に、
思い出の破片の翻転するをみたり。

ノンケ (51)

夏としなれば、高山に、
真ッ白い嘆きを見たり。

燃ゆる山路を、登りゆきて
頂上の風に吹かれたり。

ノンケ (1)

風に吹かれつ、わが来し方に
茫然としぬ、………涙しぬ。

はてしなき、そが心
母にも、……もとより友にも明さざりき。

ノンケ (73)

しかすがにのぞみのみにて、
拱(こまぬ)きて、そがのぞみに圧倒さるる。

わが身を見たり、夏としなれば、
そのようなわが身を見たり。

ノンケ (63)



中原中也

16歳 泰子との出会いと同棲

中原中也1

1923年、16歳の中也は
劇団表現座の稽古場で
女優の卵だった長谷川泰子と出会う。

泰子は中也より
3つ年上の19歳でした。

7616869.jpg

半年も立たないうちに
2人は同棲を始めます。

といっても、
恋人になってというのではなく、
表現座がつぶれて
途方に暮れていた泰子に
中也が 僕の部屋に来ていいよといって
共同生活が始まったのです。

しかし泰子によると
ある晩、中也が襲ってきたそうです。

と、それが思いがけなかったことで
あるかのように書いています。

11_2016073004345565d.jpg

同じ本の中で
自分でも言っている通り、
若い男の6畳一間の部屋に
同居してしまう時点で、
泰子もそれを
全く予想していないとしたら、
隙ありすぎです。

何とはなしに
ままごと夫婦のように暮らす2人。

収入は実家からの仕送りです。

もちろん女と暮らしてるなんて
両親は知りません。

神童の堕落は早かったのです。

13_2016073004392987a.jpg

中也は3歳も年下のくせに、
父のように 兄のように
振る舞っていたといいます。

中也の背伸びもあるでしょうが、
泰子がちょっと稚いところのある
女性であることにも原因はありそうです。

中也が詩を見せ、
時に泰子は感動して泣くというような
"青春" のひとときでもありました。

しかし早くも次の転機が訪れます。

立命館修了を確認しないまま、
中也は上京の決意を固めます。

小林秀雄との出会い

20121009_2012202.jpg

上京して1ヶ月も立たない頃、
中也は京都時代に知り合った
富永太郎の友人である小林秀雄を訪ね、
親しく行き来するようになります。

日本を代表する評論家になる小林秀雄は、
一高から東京帝大へという
まさに帝都の秀才でした。

中也と出会った時は、
東大文学部仏蘭西文学科に入学した年です。

小林は中也に対して
初対面の時から
魅力と嫌悪を
同時に感じたと述べています。

14_20160730044728329.jpg

中也にとって、
生涯の因縁の相手となる、

また最後の詩集を託す
友でもあった小林。

15_20160730044730ae3.jpg

出会って半年も立たぬうちに、
最初で最大の事件が勃発します。





ノンケ (55)

血を吐くような 倦うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがような悲しさに、み空をとおく
血を吐くような倦うさ、たゆけさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎ゆる、地は睡る
血を吐くようなせつなさに。

ノンケ (46)

嵐のような心の歴史は
終焉ってしまったもののように
そこから繰れる
一つの緒(いとぐち)もないもののように
燃ゆる日の彼方に睡る。

私は残る、亡骸として――
血を吐くようなせつなさかなしさ

ノンケ (45)



少年時

ノンケ (53)

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡っていた。

地平の果に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆のようだった。

ノンケ (78)

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。
 
翔びゆく雲の落とす影のように、
田の面を過ぎる、昔の巨人の姿――

ノンケ (62)

夏の日の午過ぎ時刻
誰彼の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走って行った……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

ノンケ (57)



中原中也

文学史に残る三角関係

top_02.gif

1925年11月、
長谷川泰子は中也のもとを去って、
小林秀雄と同棲を始めます。

中也は捨てられてしまったわけです。

はじまりは、
中也と小林の出会いから3ヶ月たった7月、
中也が郷里に帰っていて
(金の無心もあり、
中也は割とたびたび帰省しています)、
泰子が1人残っている家に
小林が訪ねてきたことがきっかけでした。

10_201607300434545d3.jpg

その後、2人は内緒で
逢瀬を重ねるようになります。

小林は 泰子に
「あなたは中原とは思想が合い、
ぼくとは気が合うのだ」などと
理屈っぽい口説き文句を言ったりしてます。

泰子は
東京育ちで洗練された小林の態度に
だんだんと惹かれていってしまい、
ついに11月
「私は小林さんとこへ行くわ」の一言で
中也を振ってしまうのでした。

中也はその時、
「フーン」と言っただけだったと
泰子は言っていますが、
もちろん中也はショックでした。

12_20160730043457a8d.jpg

中也と泰子が分かれた原因の一つは
中也からの暴力が 原因だったとも。

泰子はその後、
潔癖症がひどくなったこともあって、
小林の方が去ってしまいます。

中也は その後も
なんやかやと泰子の面倒を見ますが、
ついに元サヤに収まることは
ありませんでした。

でも、泰子が
左翼活動家で演出家の山川幸世との間に
もうけた子どもの名付け親になったり、
泰子が結婚した実業家の中垣竹之助と
交流をもったりと、
結局生涯付き合いは続くことになります。

中也の死後、お金を出して
中原中也賞を創設したのは
泰子の夫である中垣でした。

51j3KWdDmaL.jpg




夏日静閑

ノンケ (67)

暑い日が毎日つづいた。
隣りのお嫁入前のお嬢さんの、
ピアノは毎日聞こえていた。
友達はみんな避暑地に出掛け、
僕だけが町に残っていた。

撒水車が陽に輝いて通るほか、
日中は人通りさえ殆んど絶えた。

たまに通る自動車の中には
用務ありげな白服の紳士が乗っていた。

みんな僕とは関係がない。

ノンケ (71)

偶々 買物に這入った店でも
怪訝な顔をされるのだった。

こんな暑さに、おまえはまた
何条買いに来たものだ?

店々の暖簾やビラが、
あるとしもない風に揺れ、
写真屋のショウインドーには
いつもながらの女の写真。
 
       一九三七、八、五

ノンケ (74)





ノンケ (76)
 
なんの楽しみもないのみならず
悲しく懶(ものう)い日は日毎続いた。
目を転ずれば照り返す屋根、
木々の葉はギラギラしていた。

雲はとおく、ゴボゴボと泡立って重なり、
地平の上に、押詰っていた。
海のあるのは、その雲の方だろうと思えば
いじくねた憧れが
又一寸 擡頭(たいとう)する真似をした。

ノンケ (72)

このような夏が何年も何年も続いた。

心は海に、帆をみることがなかった。

漁師町の物の臭いと油紙と、
終日陽を受ける崖とは私のものであった。

可愛い少女の絨毛(わくげ)だの、
パラソルだの、
すべて綺麗でサラサラとしたものが、
もし私の目の前を通り過ぎたにせよ、
そのために
私の眼が美しく光ったかどうかは
甚だ疑わしい。

ノンケ (64)

――今は天気もわるくはないし、
暴風の来る気配も見えぬ、
よっぽど突発的な何事かの起らぬ限り、
だから夕方までには浜には着こうこの小舟。

天心に陽は熾(さか)り、
櫓の軋る音、鈍い音。

偶々に、過ぎゆく汽船の甲板からは
私の舟にころがったたった一つの風呂敷包みを、
さも面白そうに眺めてござる

エー、眺めているではないかいな。

  波々や波の眼や、
  此の櫂や
  遠に重なる雲と雲、
  忽然と吹く風の族、
  エー、風の族、風の族
 
      (一九三三・八・一五)

ノンケ (58)




中原中也

19_2016073005211972e.jpg

フランス語熱とランボーへの傾倒

上京してから、
中也はフランス語の習得に燃え、
アテネフランセ、
次いで 東京外国語学校専修科仏語部に
籍を置いて勉強します。

フランス象徴派の詩人達に
傾倒した中也が
なかでも愛したのは、
アルチュール・ランボーでした。

20_20160730052120670.jpg

10代で
『地獄の季節』『イルミナシオン』の傑作ほか、
多くの詩を書き上げ、
20歳で筆を折り、
その後職業を転々とし、
武器商人にもなり、
37歳でその生涯を閉じた天才詩人。

21_20160730052122b70.png

ランボーと 
年上の詩人ヴェルレーヌとの
同性愛でも有名でした。

映画化もされている。

22_201607300521242a4.jpg

中也は彼の韻文詩のほとんどを
訳しています。

早熟で正直で無頼で、
天才だったこのフランスの詩人と
自分との間に通い合うものを
中也は確かに感じていたのでしょう。

23_20160730052125907.jpg

山羊の歌 (愛蔵版詩集シリーズ)

中也の処女刊行詩集であり、
生前唯一の刊行詩集でもある
『山羊の歌』は、
1934年12月に刊行されました。

754edc64c4c2ea1f769c04e4c7d7e6ee.jpg

当初は予約出版を目論んだのですが、
予約が10数口しか集まらなかったため断念し、
母から300円の援助を受け
自費出版しました。

普段の仕送りといい、
実家に迷惑かけ倒してます。

友人たちは中也の詩集出版に
冷淡だったわけではなく、
普段のだらしのない生活の様子から
予約金を飲み代にしてしまうのではないかと
心配していたようです。

刊行後の『山羊の歌』の評判は上々で、
作品を発表できる媒体も増えていったそう。

といっても、
生活を支えられるほどではなかったそう。

今となっては文学史に残る作品。




夏の記臆

ノンケ (70)

温泉町のほの暗い町を、
僕は歩いていた、ひどく俯いて。
三味線の音や、女達の声や、
走馬燈が目に残っている。

其処は直ぐそばに海もあるので、
夏の賑いは甚だしいものだった。
銃器を掃除したボロギレの親しさを、
汚れた襟に吹く、風の印象を受けた。

闇の夜は、海辺に出て、
重油のような思いをしていた。
太っちょの、船頭の女房は、
かねぶんのような声をしていた。
最初の晩は町中歩いて、歯ブラッシを買って、
宿に帰った。――暗い電気の下で寝た。




ノンケ (54)

僕は卓子(テーブル)の上に、
ペンとインキと原稿紙のほか
なんにも載せないで、
毎日々々、いつまでもジッとしていた。

いや、そのほかにマッチと煙草と、
吸取紙くらいは載っかっていた。
いや、時とするとビールを持って来て、
飲んでいることもあった。

戸外では蝉がミンミン鳴いた。
風は岩にあたって、
ひんやりしたのがよく吹込んだ。
思いなく、日なく月なく時は過ぎ、

とある朝、僕は死んでいた。
卓子(テーブル)に載っかっていたわずかの品は、
やがて女中によって瞬く間に片附けられた。
――さっぱりとした。さっぱりとした。



中原中也

意外!? 母の勧めに従い
遠縁の女性と故郷で結婚

17歳で長谷川と同棲し、
上京し、詩作に没頭。

地方の名士である生家の望みからは
かけ離れた生き方をしていた中也。

1933年26歳の時、
遠縁にあたる20歳の上野孝子さんと
見合い結婚します。

お見合い後、
1ヶ月後には挙式というスピードです。

16_20160730050031500.jpg

中也の弟はこの結婚については、
中也は母の意向に全く逆らわず、
従順な息子だったと振り返っています。

中原家の長男としての義務意識なのか
母への親孝行か、
単に孝子が気に入ったのか・・・

e0199734_1041599.jpg

翌年 長男文也君も生まれ、
落ち着いた家庭生活になるかと
思われたのでしたが・・・・・・。




夏は青い空に……

ノンケ (69)

夏は青い空に、白い雲を浮ばせ、
 わが嘆きをうたう。
わが知らぬ、とおきとおきとおき深みにて
 青空は、白い雲を呼ぶ。

わが嘆きわが悲しみよ、こうべを昂げよ。
 ――記憶も、去るにあらずや……
湧き起る歓喜のためには
 人の情けも、小さきものとみゆるにあらずや

ああ、神様、これがすべてでございます、
 尽すなく尽さるるなく、
心のままにうたえる心こそ
 これがすべてでございます!

空のもと林の中に、たゆけくも
 仰ざまに眼をつむり、
白き雲、汝が胸の上を流れもゆけば、
 はてもなき平和の、汝がものとなるにあらずや

ノンケ (75)

夏の夜の博覧会はかなしからずや

夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
雨ちょと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に余と坊やとはいぬ
二人蹲(しゃが)んでいぬ、
かなしからずや、やがて女房きぬ

三人博覧会を出でぬかなしからずや
不忍ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ

そは坊やの見し、
水の中にて最も大なるものなりきかなしからずや、
髪毛風に吹かれつ
見てありぬ、見てありぬ、
それより手を引きて歩きて
広小路に出でぬ、かなしからずや

広小路にて玩具を買いぬ、兎の玩具かなしからずや

ノンケ (68)

   2

その日博覧会入りしばかりの刻は
なお明るく、昼の明ありぬ、

われら三人飛行機にのりぬ
例の廻旋する飛行機にのりぬ

飛行機の夕空にめぐれば、
四囲の燈光また夕空にめぐりぬ

夕空は、紺青の色なりき
燈光は、貝釦の色なりき

その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、めぐる釦を
その時よ、坊やみてありぬ
その時よ、紺青の空!

ノンケ (59)



中原中也

子どもの死から神経衰弱へ

1936年、長男の文也君は
たった2歳で亡くなりました。

小児結核でした。

最後の日々は寝ずの看病をし、
葬儀中は遺体を抱いて離さず、
その後は位牌の側で経をよむ中也。

詩作も続けていましたが、
神経衰弱がひどくなっていき、
療養所に入院することになります。

25_20160731081130262.jpg

「在りし日の歌」を託して!

1937年9月末、
中也は『在りし日の歌』の原稿を
小林秀雄に託し、
郷里に帰ることを決意します。

小林に中也が原稿を渡す現場に
居合わせた中村光夫は、
中也がその時、
とても憔悴していたこと、
県庁に勤めて
農村を見て回るというような生活を語っていたが、
そんな堅苦しい役割が務まるのだろうかと
思ったことなどを回想しています。

しかし、いずれにせよ、
それは実現しませんでした。

郷里山口へ引き上げようとしていた矢先、
結核性脳膜炎を発症した中也は
鎌倉で入院し、
10月22日帰らぬ人となりました。

30歳でした。

翌年、文也の死後すぐに誕生した
次男愛雅君も死去します。

そして本当に遺作になってしまった
「在りし日の歌」が
友人達の手によって出版されるのです。

arishihino.jpg

結果的には、遺作となったこの詩集、
まるでそれを知っているかのような
タイトルですが、
中也は決して死を
思っていたわけではありません。

「在りし日の歌」の後記。

27_20160731082238fce.jpg

「私は今、此の詩集の原稿を纏め、
友人小林秀雄に托し、
東京十三年間の生活に別れて、
郷里に引籠るのである。

別に新しい計画があるのでもないが、
いよいよ詩生活に沈潜しようと思つてゐる。

扨さて、此の後どうなることか……
それを思へば茫洋とする。

さらば東京! 

おゝわが青春!」



木 蔭

ノンケ (8)

神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる

暗い後悔 いつでも附纏う後悔
馬鹿々々しい破笑にみちた私の過去は
やがて涙っぽい晦暝となり
やがて根強い疲労となった

かくて今では朝から夜まで
忍従することのほかに生活を持たない
怨みもなく喪心したように
空を見上げる私の眼――

神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭は
私の後悔を宥めてくれる



夏の海

ノンケ (2)

耀く浪の美しさ
空は静かに慈しむ、
耀く浪の美しさ。
人なき海の夏の昼。

心の喘ぎしずめとや
浪はやさしく打寄する、
古き悲しみ洗えとや
浪は金色、打寄する。

そは和やかに穏やかに
昔に聴きし声なるか、
あまりに近く響くなる
この物云わぬ風景は、

見守りつつは死にゆきし
父の眼とおもわるる
忘れいたりしその眼
今しは見出で、なつかしき。

耀く浪の美しさ
空は静かに慈しむ、
耀く浪の美しさ。
人なき海の夏の昼。





ノンケ (5)

蝉が鳴いている、蝉が鳴いている
蝉が鳴いているほかになんにもない!
うつらうつらと僕はする
……風もある……
松林を透いて空が見える
うつらうつらと僕はする。

『いいや、そうじゃない、そうじゃない!』
 と彼が云う
『ちがっているよ』と僕がいう
『いいや、いいや!』と彼が云う
「ちがっているよ』と僕が云う
と、目が覚める、と、
彼はもうとっくに死んだ奴なんだ
それから彼の永眠している、
墓場のことなぞ目に浮ぶ……

ノンケ (11)

それは中国のとある田舎の、
水無河原という
雨の日のほか水のない
伝説付の川のほとり、
藪蔭の砂土帯の小さな墓場、
――そこにも蝉は鳴いているだろ
チラチラ夕陽も射しているだろ……

蝉が鳴いている、蝉が鳴いている
蝉が鳴いているほかなんにもない!
僕の怠惰? 僕は『怠惰』か?
僕は僕を何とも思わぬ!
蝉が鳴いている、蝉が鳴いている
蝉が鳴いているほかなんにもない!
 
ノンケ (6)

(夏が来た)

夏が来た。
空を見てると、
旅情が動く。

僕はもう、都会なんぞに憧れはせぬ。
文化なんぞは知れたもの。
然し田舎も愛しはえせぬ、
僕が愛すは、漂泊だ!

「生活」か?
そんなものなぞあろうた思わぬ。
とんだ美事な美辞に過ぎまい。

どうせ理念もへちまもないのだ、
ただただ卑猥があるばかり
それとも気取りがあるばかり。
 僕はもう、十分倦き倦きしている!

   夏が来た。
   空を見てると、
   旅情が動く。

「生活」とやらが……聞いてあきれる。

ノンケ (1)



中原中也

26_20160731082236bfc.jpg


大岡昇平氏によれば、
「彼に献身的な愛情を持つものでないと、
友情は長続きしなかった。
安原を除けば。」

そんな激しい生き方の中也の
最後までの理解者と言われる
安原喜弘さん。

著書『中原中也の手紙』を
出版している。

04_20160730041810de0.jpg

昭和3年の秋
安原喜弘さん、20歳の学生の時
中也と、出会う。

中也21歳の時。

「昭和三年の秋、
私は大岡昇平から詩人中原中也を紹介された。

これこそ私にとって生涯の大事件である。

中原中也との出会いは、
私の生涯を左右してしまったといえる。

私は一目で中原中也に
魅入られてしまったといえるだろう。

ことにそのなんともいえない
澄みきった目は驚きだった。」(安原)

18_2016073005222709b.jpg

卒業前に中也に誘われ、
大学入学の4月に同人誌『白痴群』創刊。

昭和4年4月~昭和7年3月 
京大文学部へ進み、京都で暮らす。

「中原は、
人も知るとおり小柄な人だった。

かぼそい体つきだったが、
痩せっぽちではなかった。

並んで歩くと、
ちょうど私の肩のあたりに、
例の黒のお釜帽子があった。

しかし、彼といっしょに歩いていて、
どういうものか
彼を小さいなと思った記憶はまったくない。

おそらく他の誰もが
そうだったのではないかと 思うのだが、
ふしぎな話である。」(安原)

28_20160731085200cc4.jpg

中也の酒ぐせの悪さは、
安原が同行して
なだめるのに苦労したほどだったらしい。

一対一で飲んだ場合はおとなしが、
人数が多い会ではかならず喧嘩を吹っかけ、
中には罵倒されて
恨みをもち続けた人も多いそうだ。

中也を理解する度量の人々はいたが、
安原のような理解者は他にいない。

旧制成城高校時代、
京都帝大生時代と交友があり、
中也の死までの真の唯一の親友であった。

29_2016073108520171b.jpg

安原は、中也にあこがれ続け
中也の早すぎる死も
「中也の死の直前の病の重さを、
真に理解していなかった」と
自責しているくらい。




初夏の夜

ノンケ (4)

また今年も夏が来て、
夜は、蒸気で出来た白熊が、
沼をわたってやってくる。

――色々のことがあったんです。

色々のことをして来たものです。

嬉しいことも、あったのですが、
回想されては、すべてがかなしい

鉄製の、軋音さながら
なべては夕暮迫るけはいに
幼年も、老年も、青年も壮年も、
共々に余りに可憐な声をばあげて、
薄暮の中で舞う蛾の下で
はかなくも可憐な顎をしているのです。

されば今夜
六月の良夜なりとはいえ、
遠いい物音が、
心地よく風に送られて来るとはいえ、
なにがなし悲しい思いであるのは、
消えたばかしの鉄橋の響音、
大河の、その鉄橋の上方に、
空はぼんやりと石盤色であるのです。

ノンケ (1)




夏の夜

ノンケ (3)

ああ 疲れた胸の裡を
桜色の 女が通る
女が通る。

夏の夜の水田の滓(おり)、
怨恨は気が遐(とお)くなる
――盆地を繞(めぐ)る山は巡るか?

裸足はやさしく 砂は底だ、
開いた瞳は おいてきぼりだ、
霧の夜空は 高くて黒い。

霧の夜空は高くて黒い、
親の慈愛はどうしようもない
――疲れた胸の裡を 花弁が通る。

疲れた胸の裡を 花弁が通る
ときどき銅鑼(ごんぐ)が著物に触れて。
靄はきれいだけれども、暑い!



中原中也と太宰治。

また一方では中原中也には
同性愛疑惑もあった。

勿論、16歳から女性と同棲
三角関係、結婚、2児の父親・・・

まったくゲイではないが
酒の勢いもあって
男とのやったことがあるという話。

特に、酒を飲んで酔っぱらって
太宰治を掘ったとも言われている。

30_201607310923477ce.jpg

その際、中也が 太宰治に
「青サバみたいなケツしてんな」と
言ったとされる。

31_20160731092348c1d.jpg

これが高橋新吉の影響の下に
彼が主張し続けたダダイズムの
詩的表現であるとして取り上げられ、
一躍文壇において名を広める結果となる。

33_20160731093555948.jpg

中也は 高橋に憧れ
手紙まで 出している。

「僕は貴兄の好きな無名の者です。

僕は貴兄を結果的にといふよりも
過程的に見て大好きなのです。」

34_20160731093556abc.jpg



いちじくの葉

ノンケ (79)
 
夏の午前よ、いちじくの葉よ、
葉は、乾いている、ねむげな色をして
風が吹くと揺れている、
よわい枝をもっている……

僕は睡ろうか……
電線は空を走る
その電線からのように遠く蝉は鳴いている

葉は乾いている、
風が吹いてくると揺れている
葉は葉で揺れ、枝としても揺れている

僕は睡ろうか……
空はしずかに音く、
陽は雲の中に這入っている、
電線は打つづいている
蝉の声は遠くでしている
懐しきものみな去ると。




初 夏

ノンケ (10)
 
扇子と香水――
君、新聞紙を絹風呂敷には包みましたか
夕の月に風が泳ぎます
アメリカの国旗とソーダ水とが
恋し始める頃ですね



中原中也と太宰治。

太宰治も 同性愛の噂のあった人だ。
勿論、完全ではなく、
バイセクシュアルって意味で。

32_20160731092916a13.jpg 

同性愛嗜好のあった
まだ駆け出しの三島由紀夫が
太宰治の表現方法に
異論を唱えたことがあった。

37_20160731101322be0.jpg

太宰が人気作家として、
若手の文学青年達と飲んでいる際に、
突然押しかけて来た三島由紀夫が、
太宰と会うや否や
「ぼくはあなたの女々しい精神が大嫌いです」と
言い放った記述が残っています。

そのとき太宰は
薄笑いを浮かべながら
「そんなことをわざわざ言いに来た君は
本当は僕の事が好きなんだよ」と
薄ら笑いを浮かべて
言い返したそうです。

38_201607311013241dd.jpg

一方の太宰は
中也に抱かれた経験を忘れられず、
どうしても中也にもう一度
抱かれたいって思ってた節があるそう。

35_2016073110023223f.jpg

太宰が出稿していた同人誌の飲み会で
血気盛んな中原中也に
「おい、お前の好きな花は何なんだよ!」
と尋ねられ、
しどろもどろになり返答に困っている太宰。

中也はすかさず
「さっきから小さな声でもぞもぞしやがって、
ふざけんな。
何の花が好きなんだって
さっきから聞いているんだよ!」
とひつこく責められ続け、

すっかり萎縮した太宰は、
か細い声で「も、も、も、桃の花、、、」
と答えたという
エピソードも残っています。

36_201607311013214d1.jpg

そんな破天荒な荒々しい中也に
おとなしい太宰治は
本気で惚れたんじゃないかと
思わせる節がある。

抱いてもらいたくて
何度も接触を図り、
「も・も・の・は・な」などという言葉で
中也を誘惑するも、
不発に終わったなんてね。

0_2016073003522180c.jpg

その後、太宰は
中也のことを 避けるようになったと
言われている。

01_20160730035222262.jpg




夏と悲運

ノンケ (9)

とど、俺としたことが、
笑い出さずにゃいられない。

思えば小学校の頃からだ。

例えば夏休みも近ずこうという暑い日に、
唱歌教室で先生が、
オルガン弾いてアーエーイー、
すると俺としたことが、
笑い出さずにゃいられなかった。

格別、先生の口唇が、
鼻腔が可笑しいというのではない、
起立して、先生の後から歌う生徒等が、
可笑しいというのでもない、
それどころか俺は大体、
此の世に笑うべきものが存在とは思ってもいなかった。

それなのに、とど、笑い出さずにゃいられない、
すると先生は、俺を廊下に出して立たせるのだ。

俺は風のよく通る廊下で、淋しい思いをしたもんだ。

俺としてからが、どう解釈のしようもなかった。

別に邪魔になる程に、
大声で笑ったわけでもなかったし、
然し先生が
カンカンになっていることも事実だったし、
先生自身何をそんなに怒るのか
知っていぬことも事実だったし、
俺としたって意地やふざけで
笑ったわけではなかったのだ。

俺は廊下に立たされて、
何がなし、「運命だ」と思うのだった。

大人となった今日でさえ、
そうした悲運はやみはせぬ。

夏の暑い日に、
俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。

ノンケ (7)

やがて俺は人生が、
すっかり自然と游離しているように感じだす。

すると俺としたことが、
もう何もする気も起らない。

格別俺は人生が、どうのこうのと云うのではない。

理想派でも虚無派でもあるわけではとんとない。

孤高を以て任じているなぞというのでは尚更ない。

しかし俺としたことが、
とど、笑い出さずにゃいられない。

どうしてそれがそうなのか、
ほんとの話が、俺自身にも分らない。

しかしそれが結果する悲運ときたらだ、
いやというほど味わっている。


頌 歌

ノンケ

出で発たん!夏の夜は
霧と野と星とに向って。
出で発たん、夏の夜は
一人して、身も世も軽く!

この自由、おお!この自由!
心なき世のいさかいと
多忙なる思想を放ち、
身に沁みるみ空の中に

悲しみと喜びをもて、
つつましく、かつはゆたけく、
歌はなん古きしらべを

霧と野と星とに伴れて、
歌はなん、夏の夜は
一人して、古きおもいを!



中原中也と太宰治。

バイセクシュアル

02_2016073003381107b.jpg


95741134_o1.jpg

大嫌いなものに
お互いをあげるくらい
憎愛入り乱れた不思議な関係

CaXjqJBUEAAooTO.jpg

当時の若き文豪の方々の
破天荒な生き方

1469109680-2322739716_n.jpg

奔放な性関係。

親友と女性との三角関係 当たり前。

13285381_297976010535003_781927686_n.jpg

もしかしたら
男同士 寝たことも
あるんだろうな。

20150221230926_h8GWh_thumb_700_0.jpg


中原中也・・・

yagino_uta_nakahara_ipad.jpg

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる・・・・・







<文学と男達>

読書する男達⑥ リゾートでの読書・・・好きな小説の一節

読書する男達⑤ 読書男子はかっこいい。

読書する男達④ 素晴らしい詩の一節 素晴らしい言葉達

読書する男達③ 読書の楽しみ「人間失格」「仮面の告白」 

読書する男達② アルチュール ランボー 狂気の果て

読書する男達① 村上春樹、ノーベル文学賞落選 がっがり。 

夏の詩 中原中也とその生涯 夏と男達④

夏の粋 夏の素晴らしい詩 浴衣を纏う男達⑧

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ターじぃ

Author:ターじぃ
気が付けばアラフィフ。
人生って早いっすね。
まだまだ、これからさ。
素敵なジジイ目指して奮闘中。
エロさ忘れず、
色々興味持って、前向きにね。
ゲイに興味にない方は、ご遠慮下さいね。
ネットに溢れている画像
使わせてもらってます。

カテゴリ

最新記事